報道関係への個人情報保護法の適用除外措置の解除と、第三者機関からの監査により取材活動の透明性を担保。 by エスタブリッシュ・ニュープライバシーさん | デジタル改革アイデアボックス

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アイデア番号
@03371

報道関係への個人情報保護法の適用除外措置の解除と、第三者機関からの監査により取材活動の透明性を担保。

カテゴリー
0-1.デジタル社会に関する意見
寄稿者
エスタブリッシュ・ニュープライバシーさん
投稿日時
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2コメント
評価P
4ポイント

結論から申しますと、報道機関は、デジタル化によって導入されうる、大規模個人情報網を保有すべきではないし、アクセスすべきでもないと思います。現行法のままデジタル化を推進すれば、報道機関は権限の広さと、それに対する罰則の低さから暴走し、容易に監視社会の中心的存在になり得ると思います。

現行法では、報道関係者が報道の用に供する目的であれば、個人情報保護法の適用を除外されていますが、これに対し、より精密で厳格な制限を加えた方がいいと思います。

今後デジタル庁が開設され、例えばマイナンバー等をキーとして、個人の様々な情報が、芋づる式に記録されるような社会が到来した場合、メディア関係者はこれらの情報に、”報道目的や取材目的”と称すれば、事実上フリーパスのような形でアクセスできるのでしょうか?

その場合将来的に、一部のメディアが、自分達の意向や思想に沿わない、あるいは単に気に食わない、政治家やタレント、活動家、一般人などを、それらの情報を用いて監視する可能性があります。

現状では報道機関の性善説に任せる状態です。これでは国民の安全・安心は担保できません。特定の個人の情報の取得、暴露、監視は暴力だと私は思います。

報道関係への規制は、表現や言論、取材の自由、知る権利などと対立することが言われますが、私は暴力は表現や言論や取材とは違うと思います。そもそも例えば、表現の自由を口実にすれば、どんな行為も許されるのでしょうか?表現の自由は、結局は程度の問題なのです。確かに、刑事事件や組織不正など、社会的強者が行う不正については、取材の自由はあってもいいでしょう。しかし、ジャーナリズム性が直接的には無い情報まで取得するようなことがあれば、道徳を逸脱した行為だと私は思います。

憲法には、日本国民は健康で文化的な最低限度の生活を送る権利があると記載されています。私はこの“健康“に”精神的な健康”も含まれるのだと思います。国民は監視や暴露の恐怖や疑心暗鬼から解放されるべきだと思います。そのためには、情報を扱う組織やシステムが信頼を担保する必要があります。それを可能にするのは、暗号化・匿名化などの物理原理的措置、罰則規定、第3者の監査や、個人情報開示の際の厳格な手続きや記録、等です。まちがっても、それらのシステムを運用・活用する人々の精神論や性善説では信頼を担保することはできません。

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